2011年5月4日水曜日

やっと海底土中の放射性物質調査データが発表されたが


1.なぜ東京電力/文部科学省はより広域かつ詳細な核種分析を行なわないのか

福島第一原子力発電所から漏出した大量の高濃度放射能汚染水による、生態系に与える甚大な影響が懸念されている。東京電力は5月3日にやっと周辺海域の海底土の汚染データを公表した。

 原データへのリンク:海底土の核種分析結果(PDF 12.2KB)

これまで一切公表されてこなかった海底土の調査データが出てきたことは、少なからず評価に値する。しかしながら、そのデータは実にお粗末なもので、福島第一の事故現場から15〜20km離れたわずかに2地点のみの測定結果であり、相変わらず、ヨウ素131とセシウム134/137に関する数値に終始している。より詳しい核種分析が「なぜ」出せないのか。さらに、より汚染源に近い海域の調査が行なえないのか。少なくとも燃料ペレットが融解し、さらに格納容器 - 圧力抑制室(サプレッションプール)- が破損している第2号機から漏出した汚染水には、ストロンチウム90やコバルト60、さらにはプルトニウム239+240など天文学的な長さの半減期を持ち、生態系のサイクルによって濃縮されて毒性を高める核種が莫大な量含まれていることはほぼ間違いない。それを無視して、詳細な核種分析のデータを調査しない、あるいはあえて公表しない東京電力の姿勢は全く理解しがたい。 

一方、東京電力へ右へ倣えをするように、同じく5月3日に文部科学省がやはり海底土の調査結果を発表している。


 こちらのデータはもはや「データ」と言える代物ではない。海底土の採取地点は、福島第一原子力発電所の事故現場から南へ50km下った海域。しかもたった1地点の測定による数値である。 測定核種は、お馴染のヨウ素131、セシウム134/137の3種類だが、いずれも「不検出」(測定日時は4月29日)。文部科学省は、この稚拙な資料を公表していったい何を言おうとしているのか。放射性物質の拡散は事故現場周辺に抑え込んでおり、広域への影響はないとでも言い張るつもりだろうか。国際海洋法への欺瞞行為である以上に、どこまで国民を馬鹿にすれば済むのかと言いたくなる。


2.海上保安庁環境情報部による海洋汚染調査

さてここで、海上保安庁環境情報部による海洋調査について言及しておこう。この調査は、核実験等が海洋の自然環境に及ぼす影響を把握するために実施されており、日本近海の海水及び海底土に含まれる人工放射性物質の分布状況、経年変化等を把握するものである。海水については昭和34年(1959年)に、海底土については同48年(1973年)にそれぞれ調査を開始し、以来継続して実施されている。この調査では、外洋1〜10、沿岸域11〜20の合計30地点における海水、および 沿岸域9地点の海底土をサンプリングして、その試料中に含まれる放射性物質の量と経年変化を記録している。


前掲の地図とグラフは、2010年12月発行の調査報告書(2009年調査実施) から一部抜粋したものだが、海水中のストロンチウム90、セシウム137、コバルト60、ルテニウム106の4核種の測定が行われており、海底土については、同じくストロンチウム90、セシウム137、コバルト60の3核種の測定が行なわれている。2007年発行の調査報告書(2006年調査実施)までは海底土についてプルトニウム239+240の測定値が含まれていたが、2007年から2009年までの報告書にはプルトニウムの記載はない。


いずれにせよ、平時における継続的な定点調査においてさえ、国土交通省管轄の海上保安庁によって海底土中におけるストロンチウム90、コバルト60、プルトニウム239+240の測定が行なわれてきている事実に注目すべきだろう。いったい、文部科学省、経済産業省は何を躊躇しているのか。今回の東京電力・福島第一原子力発電所の壊滅的な事故によって、国を挙げて推進してきた原子力行政のほころびが露わになったことから、出来る限り事故の影響を過小に評価しようとする「気持ち」は分からないでもない。しかしながら、国民への責務は果たしていただかねばならない。おりしも、国際環境NGOのグリーンピースが事故現場伊海域での海洋調査の許可申請を行なっていると聞く。グリーンピースの調査船「虹の戦士号」がオランダ船籍であることを理由に、外務省は日本領海内の調査を拒否するとともに、資料の採取方法や核種測定の機器を指定して事実上調査が行なえないような要求をつきつけてもいるようだ。これ以上、国際的な非難を浴びるような愚を冒さないでいただきたい。政府はことあるごとに、国民をパニックに陥れないように....と力説するが、パニックを起こしているのは日本国政府そのものなのではないか。事実を正しく伝えることなしに、いかなる政府も安心と信頼を得ることはできない。国民の理解と協力を求めるならば、「決然とした」(determined)「高潔さ」(integirty)が貫かれねばならないのだ。

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